米国証券市場ガイド 第2回:日本企業によるNasdaq上場(その1)

(C)2013, The NASDAQ OMX Group, Inc.

2013年8月、NYタイムズスクエアにあるNasdaqにおいてUBIC(現FRONTEO)の上場記念セレモニーが行われ、Nasdaqへの上場を象徴する「クロージング・ベル」が打鐘されました。UBICが実際に上場したのは同年5月。これは日本企業として14年ぶりに果たしたNasdaq上場でした。UBICのNasdaq上場は関係者の間で驚きをもって受け止められたのと同時に、日本企業によるNasdaq上場への関心が再び高まるきっかけとなりました。

 

Nasdaq:時価総額世界1位も上場

NasdaqはNYSEと並ぶ世界最大級の証券取引所で、上場企業数は約3000社(NYSEは約2400社、東証は約3600社)、2018年4月末時点での時価総額は約1000兆円(NYSEは約2000兆円、東証は約680兆円)、世界第2位の証券取引所です。

時価総額の合計はNYSEに敵いませんが、企業別にみると2018年5月末時点の世界の時価総額トップのAppleはNasdaq上場企業であり、第2位のAmazon.comも、第3位のMicrosoftも、第4位のGoogleも、第5位のFacebookも全てNasdaqに上場しています。世界の時価総額トップ10のうちトップ5社まですべてがNasdaq上場企業です。

 

 世界の時価総額トップ10 上場証券取引所 ( 2018年5月末時点 )

企業名 時価総額($10億) 上場取引所
1 Apple 918 Nasdaq
2 Amazon.com 790 Nasdaq
3 Microsoft 759 Nasdaq
4 Alphabet (Google) 758 Nasdaq
5 Facebook 555 Nasdaq
6 Alibaba Group Holding 500 NYSE
7 Tencent Holdings 493 NYSE、HKSE
8 Berkshire Hathaway 472 NYSE
9 JPMorgan Chase 364 NYSE
10 Exxon Mobil 343 NYSE

 

Nasdaqはスタートアップのベンチャー企業が上場する新興市場というイメージがあるかもしれません。確かに新興市場的な機能、側面も備えていることは事実ですが、実際には新興企業だけではなく、世界のテクノロジーをけん引している巨大企業がNasdaqに上場しています。

 

Nasdaq設立当初は実質的に店頭取引市場

Nasdaqは1971年2月8日に、世界で初めての電子証券市場として発足しました。NasdaqはNational Association of Securities Dealers Automated Quotationsの略で、名前が示すようにNational Association of Securities Dealers(NASD:全米証券業協会)という、元々店頭取引を監視・運営するために設立された自主規制団体が構築した店頭銘柄気配自動通報システムを意味しています。

Nasdaqは店頭銘柄気配自動通報システムを用いたstock market(株式市場)ではありましたが、証券取引所(正確にはnational securities exchange:国法証券取引所)ではありませんでしたので、少なくとも設立当初は実質的には店頭取引市場(OTC)として機能し、認識されていたようで、例えば70年代から80年代の前半にかけて、新聞等のパブリケーションやスタンダード&プアーズのレポートでは、Nasdaq銘柄は上場銘柄ではなく、OTC銘柄という扱いであったようです。

日本企業のなかにも、Nasdaq発足当時からADRがNasdaqで取引されている会社がありました。具体的にはキヤノン、富士フイルム、JAL、東京海上火災、NEC、日産、トヨタ、三井物産の8社です。その後、70年代には他にもキリンやダイエー、ワコール、マキタ、三洋電機、資生堂がNasdaqの仲間入りをしています。

Nasdaqのデータによると70年代には他にもホンダや京セラ、関西電力、パイオニア、ケンウッド、TDK、東芝などの証券が取引されていた形跡があります。しかしながら、初期においてNasdaqにおいてどの会社の何の証券が取引されていたのかはっきりと特定、断定することは非常に困難で、当社でもリサーチを試みましたが事実関係を確認することができませんでした。その理由を説明するにはNasdaqが法的に、またはルール上どのように位置づけられていたか理解する必要があります。

 

Nasdaq設立当初は日本企業のSEC登録は不要

Nasdaqにどの会社が含まれていたか正確に把握できない、というのは現在のNasdaqをご存知の方からすれば信じられない話だと思います。それを理解するためには、専門的な話になりますが、米国証券市場に関連する法律やルールを理解する必要があります。

アメリカの証券取引に係る規制は1933年証券法(証券法)と1934年証券取引所法(取引所法)が根幹となっています。証券法と取引所法が制定されると、その規制を運用、監督する機関として証券取引委員会(U.S. Securities and Exchange Commission:SEC)が1934年に設立されました。その結果、アメリカにおいて、証券取引所(正確には取引所法第6条に基づきSECに登録されている国法証券取引所:national securities exchange)に上場される証券の発行者は、SECに登録することが義務付けられました。

一方で、SEC登録はあくまでも国法証券取引所に上場する会社だけが対象であり、ピンクシート等の店頭取引(OTC)銘柄についてはSEC登録も継続開示義務もありませんでした。OTCの取引量が拡大するにつれ、上場企業とOTC企業(1963年当時で約3500社あったといわれています[i])の間の情報開示レベルの差が問題視されるようになり、その結果1964年に証券法及び取引所法が改正され、取引所法12条(g)項が新設されました。この取引所法12条(g)項によりOTCで取引されるような非上場会社に対しても、一定の規模、具体的には100万ドル以上の総資産及び500人以上の株主という外形基準[ii](当時)を上回る会社については、SECへの登録(および継続開示等)が義務付けられることになりました。

一方で、このような外形基準によるSEC登録の義務化を外国企業(foreign private issuer:FPI)に対しても課すことに対しては懸念があったようで、取引所法改正の際に、FPIについては例外規定を設けることが認められ、1967年に取引所法ルール12g3-2が定められました。このルール12g3-2により、日本企業を含むFPIは、一定の要件を満たせば、取引所法12条(g)項によるSECへの登録及び継続開示等の義務が免除されることとなりました。

Nasdaqが発足したのは1971年ですが、Nasdaqは国法証券取引所ではありませんでしたので、Nasdaqでの取引は証券法及び取引所法上は証券取引所の上場にはあたりませんでしたので、Nasdaqで取引されたとしても上場に伴う(取引所法12条(b)項に基づく)SECへの登録は必要ありませんでした。一方、Nasdaqが発足した1971年時点では既に取引所法12条(g)項は制定されていたので、外形基準を満たすアメリカ企業はSEC登録が必要とされていました。しかしFPIに対してはルール12g3-2によって取引所法12条(g)項に基づくSEC登録が免除されていたため、日本企業はNasdaqで取引されてもSEC登録をする必要がありませんでした。その結果、1970年代にNasdaqで自社株(ADR)が取引されていたほとんどの日本企業はSECへの登録をする必要がなく、実際にSECへの登録を行いませんでした。

更に、これは証券法や取引所法とは別の話ですが、発足当時のNasdaqにおいては、発行会社の同意なく証券会社等が勝手に当該会社の株(ADR)をNasdaqに登録することが可能でした。そのため、富士フイルムやJALのように、自社が企図していないにも関わらずいつの間にかNasdaq会社となっていたケースが多くありました。

このように70年代のNasdaqに関しては制度的にも未成熟で、いろいろな矛盾を抱えていたようです。しかしながらNasdaqが提供した取引システムは証券市場において欠かせないものとなりつつあり、Nasdaq市場における取引は拡大を続けました。Nasdaqが取引所として成熟してゆくにつれ、SECはこのような状況を問題視し始めました。

詳しくは分からないのですが、遅くとも1983年までには、発行会社の同意を得ずに勝手に当該会社の証券をNasdaqで取引することは出来なくなっていました[iii]。これは完全に憶測なのですが、Nasdaqの記録によるとホンダ、関西電力、京セラ、松下電器、パイオニア、東芝の各社は1981年11月22日に一斉にNasdaqでの取引が停止されているので、このころにルール変更があったのかもしれません。

更に転機となったのが1983年10月5日にSECから出されたルール12g3-2の改定です。この日を境に日本企業にとってNasdaqで自社株(ADR)が取引されるということは、それまでとは完全に性格の異なるものとなりました。


[i] RICHARD M. PHILLIPS AND MORGAN SHIPMAN, An Analysis of the Securities Acts Amendments of 1964

[ii] 厳密には、1966年6月末までは時限的に750人、それ以降は500人とされていました。

[iii] 83-58 SEC Rule Change Relating to Foreign Securities in NASDAQ

 

こちらのページに関するご質問・ご相談は、こちらよりお気軽にお問合せください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA